2017年11月10日

戦いとその戦術におけるTips(再掲転載)

陣形や戦術についてあれこれ書いてきましたが、具体的な戦術の動き、あるいはそれをゲーム的観点で見た場合の戦術とは、つまりこうです。まず、戦術というものはどんなゲーム、戦いであってもほとんどと言っていいほどフランキング(翼攻撃)で決着が着くものなのですが(詳しくは「歩兵と騎兵、中世の陸戦戦術」をご覧ください」)、それは何故かというと、単純に歩兵にしろ騎兵にしろ実際の戦闘時は鎧などもあり動きの重いものなので、そういう意味では普段通りの機動力じゃないところへしかも正面の敵と交戦中に真横から突撃を食らうとどうなるか、というと、必ずと言っていいほどその軍隊は狼狽、します。何故かと言えばそもそも戦争における軍隊というのは職業軍人であっても生身の人間が金属の鎧を身に着けて行うものなので、そういう意味では単純にゲームによくあるような部隊の攻撃力や防御力・機動力などで勝敗が決まるものではありません。戦闘において一番戦況を左右するものは、その戦っている兵士個々そのものの士気であって、そういう意味では戦場において部隊規模で狼狽したり混乱させられているようでは、ほとんど死に近いといってもいいほどなのです。そういう意味で戦況を動かすのには相手部隊の士気にダメージを与えるのが最も効果的で、戦場において戦況を左右するものはほぼ間違いなく十中八九士気である、といっても過言ではありません。その士気単位でダメージを与えるのに最も効果的、なのがフランキング(翼攻撃)で、これは機動力から騎兵で行われることが多いですが別に歩兵でも構わずとにかく戦場において相手に横や背後を取られる、あるいは狼狽・混乱させられる、というのは受ける側にとって最も致命的、になります。下手したら、盾を持った状態で敵部隊の弓の斉射を受けるよりもしんどいとは思うのですが、とにかく物理的にはほとんど損害を受けていない状態でも、戦場で士気をやられるというのはほとんど圧倒的に戦況を決められてしまう原因にもなります。(もちろんこれについては現代のスポーツでも同じで、監督やコーチなどのプレーの内外でやるべきことは選手のパフォーマンスを最大限に引き出す、という意味でもその士気、あるいはコレクティブ・エフィカシーともいいますが、選手の自信やモチベーション、やる気を引き出してやることにあります。そういう意味では古代も中世も、近世も現代もほとんど変わらない、ということになるとは思うのですが)古代から中世、近代までの戦いにおいても戦場の戦況を決めているのは圧倒的に士気あるいはその他戦場の背後要因であることが多く(大体同じ年代の似たような列強間ではさほどその基礎的な軍隊の戦力差があるとはいえないであろう)、そういう意味では士気というのは戦場においても、あるいは庶民の日常生活に(この場合はモチベーションともいうが)おいても圧倒的に重要な部分を占めているのであり、逆にいえば戦場では相手の士気を攻撃することで最も効率よく勝ちを導ける、ということなのです。そういう意味ではフランキングが特に中世・近世の陸戦におけるひとつの戦術のキーのようなものになっていくのですが、そのフランキングを実行する際は大抵の場合自軍本隊(指令部隊)から見て必ずといっていいほど右側から仕掛けると最も効果的、になります。ひとつは、地球上の人類は全体的に基本的に右利きが多い、からで弓や弩、鉄砲を撃つ際なども自身から見て右から左に標的を追った方が当然命中させやすくなります。まぁ、これはFPSなどをやればよく分かると思うのですが、大抵の場合は右利きが多い以上、利き目に関わらずある程度重い弩や銃などの武器は利き手側から逆側に追って照準を合わせたほうが命中しやすくなるので(これには射撃の際の衝撃を吸収する動きと筋肉の動きも多いに関係していると思われる)、そういう意味ではフランキングを実行する際は、必ずといっていいほど自軍から見て右側から仕掛けたほうが、断然成功率が上がります。もうひとつ、右側から行く理由としては陰陽五行において北を上にした場合物事の流動性、スムーズさを司る水と風、それから勢いを司る風と火の方角がそれぞれ順に水・風・火が北・東・南に対応しているので(大地は南西、金・全は西)そういう意味では基本的に勢いを伴う事は北を上に据えた場合は右側から仕掛けるほうが断然成功しやすい(というか少なくとも縁起はいい)のであり、またさらにそこから派生させると狙撃、狙い撃つ、慎重な攻撃は主に象徴が風と水であるから北東の方角から仕掛けたほうが効率がいいのであるし、火と風に象徴される突撃・突入・勢いのある攻撃、などは陰陽五行でいえば南東の方角から仕掛けたほうが成功率が高い、のです(実際に三国志演義の徐庶が指揮を執った博望坡の戦い、では総大将の劉備が趙雲に対して曹操軍の将軍曹仁の敷いた「八門金鎖の陣」に対して手勢五百騎を与え「東南の方角より馳せ入り、西へ西へを駆け散らし、また東南の方角へ(風と火)と取って返せ」と指示している)。まぁ、風水的な縁起としてしまえばそれまでなのかもしれませんが、ある地方では例えば太陽の通る方角は決まっていることからも、そこから考えれば方角とそれに付随する属性が物事の細事、あるいは審美に関わっていることは想像に難くないはずです。大抵そういった古代からの習慣や言い伝えのものは、最先端にいくほど科学的に観れば意外と根拠のあることが多く、そういう意味では陰陽五行もバカにならない、というよりはむしろすごく実践的でとてつもなく使える、のです。また、これらについては陰陽の向き、ということも影響しています。

 (右回りである)
ということからも右側から戦術、あるいはフランキングを仕掛けたほうが断然成功しやすい、といえるわけでまた相手も同じ習慣に則っていれば当然右側、つまり向かって自軍の左側から何かしら仕掛けてくるわけで、そうだと予めある程度分かっていればそれに対して事前に準備しやすくなるので(左を装備や地形などで守りを固め、右から打って出るように備えておく、など)、またお互いがそうだとある程度決めていれば全体的に戦況が動かしやすくなる、ということもありそういう意味では習慣のようでもある程度は理に適った、ことなのです。まぁ、それを予め知った上で逆に相手の全く裏をかくことも平気で行われるのが実際の戦場、というものなのですが、そういう場合でも特に東アジアの事象となりますが軍隊を動かすなど、大事の際には縁起を担ぐことは必ずといっていいほど通る道、なので逆に縁起でもないことはそういう大事の際にはやらない、といったことは戦時の決まり事、のようになっている節、もあります。まぁ、とにかくフランキングなど戦術は古今東西問わずとも右側から仕掛けたほうがいい、ということなのですが、このように様々な要因が絡んできている、ということは言えなくもない、ということです。この項の主張に関しては以上です。 (中世・近世ヨーロッパ歴史研究考証wikiより転載)

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2017年09月04日

でんごんばんのへんしん・やりとりよう

でんごんばんのへんしん・やりとりようにつくったぞ。でんごんばんにかんするないよう、へんしん、それにたいするおうとうはこちらでする。でんごんばんは、しようじょうれんとうできないので、れんぞくしたやりとりにはむかない。あまりとうこうするとはんざつになるし、なによりつかいにくいから、こちらにへんしん・おうとうようのえんとりをつくった。
また、そのためっせーじや、ほかのやりとりなんかもかんげいだ。たんに、ようぼうとか、かんそうとかでもいいぞ。また、ざつだんなんかでもおーけーだから、こめんとらんのゆるすかぎり、つかえる。では、ごじゆうに、どうぞ。とりあえず、なまえと、ないようだけは、しっかりかいてくれ。でないと、つかいづらいからな。
posted by skywalker at 16:26| 愛知 ☁| Comment(0) | でんごんばん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月04日

夜のリラクゼーションタイム-クラシックにコーヒー

はい、普段はそれなりに量のあることを書くことが多いのですが、今日はほんの小ネタということで失礼します。コーヒーといってもほんのどこのスーパーでも売ってるような量販のインスタントコーヒー(ズテッ)なのですが、それをマグカップ一杯飲みながらクラシック(今回はタブレットでモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第三番です。第三楽章は映画「Master and commander」のエンディングシーンの一節でも有名?というか印象深いですね)を聞くと最高に落ち着けることを発見しました〜。まぁ、条件としては、1.日中のストレスがほとんど残らず落ち着いていること 2.体力的な疲れがほとんど残っていないこと(疲労の限界だと恐らく寝てしまいますね) 3.自分の嗜好にあう落ち着いた味の飲み物を探すこと そして、4.自分の部屋など落ち着いて静かな空間で誰にも邪魔されずに音楽を聴ける環境であること さらに、5.あまり長く聴き過ぎない、曲目は絞る です。まぁ、落ち着いて音楽を聴く環境といえば、ほとんどの場合でこちらが当てはまると思うのですが、とにかく、この条件さえ揃えば誰でも簡単に数秒で落ち着けてしまうと思います。もちろん、頭痛薬など服薬されている方には、こちらの方法はあまりおすすめできません。疲れがある場合などは曲目にもよりますがすぐに寝てしまいますし、コーヒーなど覚醒作用のある飲み物は逆に体だけ目覚めてしまいます。むしろ砂糖入り紅茶やミルクティーなどは良く寝れるのかもしれませんけどね。この方法でコーヒーを使うには、あくまでごく健康体であることが条件になります。基本的にカフェインなど嗜好成分が薄くなればなるほどどの飲み物でもいいことになりますが(もちろんクラシックとの相性もあれど)、今回は気分が落ち着くという作用を発見したのですが、場合によっては医学的な検証をしたわけではないので、どのような効果があるのかは未知数です笑 まぁ、よほど覚醒作用の強い飲み物などを飲まなければ大丈夫でしょう。ちなみに、英BBCによりますとコーヒーよりも紅茶のほうがカフェインが多いらしいです。ちなみに、ある筋の情報では紅茶とコーヒーのカフェインでは種類が違うとか。まぁ、とにかく、自分が落ち着ける飲み物であればなんでもいいのでしょうが、クラシックなど鎮静作用のある音楽などと一緒に頂くと、一層落ち着きと安らぎを得られるものである、ということはまずお伝えしておきましょう。他にも、ココア(ミルクなし砂糖だけ)やホットミルク、ミルクセーキなどでもいいのかもしれませんね。ハーブティーを用いる場合は、ハーブにもよりますがヴィヴァルディの「四季」や自然系の音楽のほうがいいのかもしれませんね。では、今日はこれにて、失礼します〜。
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2016年11月29日

交易相場の秘訣-最初から今まで

交易相場とはある地点(主に街や村)とある地点を結ぶ物品交換である交易において、ある地点の市場のそれら物品の価格や交換レートを、実際に交易する際の売買や交換の目安となる交易の相場として見た際の若干抽象化した用語です。まぁ、要は交易する際のその参考にする相場あるいはもう一段階抽象的にそれら相場をみた際の市場全体での取引を俯瞰した、それらを想定した交易の相場を指す用語になります。早い話、交易をする際の物品の売買や交換レートあるいは取引全体の現況を指している言葉、なのですが例えばゲームであれそこで交易する人にとっては交易相場というものはたった基準価格から数パーセント動いただけでも物品の単価によっては大きく利益など成果に影響するもので、とっても重要なものなのです。また、その数パーセント動いたというその相場の上がり下がりのバイアスだけでも、今後その他の品目も含めてどのように変動していくのか、ということを想定すると、どの物品が連動してどの物品が単独の動きをするのか、といった要素も大いに関係してくることが分かります。つまり、相場というものは色々な要素が混ざり合わさって現況の交易相場があるものなのであって、その個々の品目や価格変動の何パーセント動いた、というバイアスだけでも複雑な要因を統合的に考慮すれば誰でもその後の相場の動きや大きな変動などの相場の「読み」をすることが、可能であるわけです。つまり、相場の動く要因をつかめれば誰でも相場が読める、ということなのですが(例えばの話、みんなが相場が読めてしまったら、特にそのプロで取引する人達は困るじゃないか、という意見もあるかと思うのですが、それはそもそも交易の成り立ちの話にもなりますが交易がそもそも中世近世を通しては主に海路を通る帆船で大きな取引が行われてきた、ということそしてもうひとつは、その移動や商品の積卸を含めた「取引」には何日もかかるといったような間のインターバルの時間、が常にかかったということを考慮に入れなければなりません。そうしたインターバルの時間がかかるから、こそ交易相場がある程度皆に読めてしまっても次個々が特に各々の自分が主体的に取引するまでに何日あるいは場合によっては数週間かかったりするわけで、その間にそれら要因を含めた交易相場にまつわる様々な要因で相場は動的に変動し得る、のです。つまり、「間の」動く時間があるからこそ、例えほぼ全員が相場が読めていたとしてもその間にそれら要因を含めた要因で相場が変動し得るので相場を基準にみた取引にはなんの影響もないわけで、そういう意味では交易相場もひとつの大きなゲームである、ということは言えるのかもしれませんね、話を戻します。)それは皆が相場を読めていても個々の要因で個々の売買でそれぞれ相場が変動し得る、という交易相場あるいはその地点全体での交易がひとつの大きなゲームのようなものである、ということをまず言っておかなければなりません、つまり、皆がルールを知っていてあとはその移動に何日かかかるの前提でそれら個々の売買で相場が変動するのを前提で誰が一番いい相場で売れるのか、というのを簡潔に見れば競っているわけなのですかあら、当然ある地点における交易相場そのものがひとつの大きなゲームである、という見方が非常に出来る、と思います。ちなみに、ある地点と書いたのは交易相場、つまり市場、大きな取引の中心地のある場所それぞれで交易相場は常に違い、しかもそれらが互いの要因の影響を受けながら上手く相互作用的に連動して動いていくため、交易相場といっても地点毎にまったく相場は違うわけです。まぁ、もちろんトレンドや流行による連動性は時代によっては確認できるわけなのですが、それも大きく見て同じような地方にある場合だけですし、そもそもそういった大きな地域で見た際の市場毎の交易相場の連動性を、グローバルな市場、視点、あるいはそれらにおいて常に自分たちの利益を最優先することを、グローバリズム(特に市場グローバリズム)、ともいうわけです。まぁ、今の話はこれくらいにしておいてまた中世近世に戻りますが、交易相場そのものはある地点においてはそこがその地域の大きな交易の中心地である場合はそれ自体それそのものがひとつの大きなゲーム、であるわけです。それが、ひとつの大きなゲーム、だとするとゲームには必ず大きな変動する要因、が必要になるのでそういう意味では(さて、これが今回のひとつの大きな答えですよ〜)ゲーム、交易相場そのものは「フラグ」で動く、ということです。フラグ、というのは何か物事が動くときの、論理的きっかけ、のようなものを指す言葉なのですが、交易相場は何かフラグが起こる毎に大きく変動します。つまり、多かれ少なかれ交易相場をコントロールしたい場合はその交易相場に対するフラグをコントロールすればいいわけで、歴代の利権あるいはグローバリスト達、まぁ要は支配者層ですね〜はその交易相場に対するフラグ、イベントをコントロールすることで市場をコントロールしてきたわけなのです。なんせ、自分たちが支配権を握った上である地点の交易相場をコントロールしてしまえばその地方は押さえてしまうことができるわけですし、もし、そこが世界貿易的に見て重要な地域であれば、当然、その地域からあげくには世界をコントロールできでしまうことになるわけなのです。まぁ、これが近代の市場経済的グローバリストなどの典型的な、というかもっとも基本的なやり口、なのですが、まぁここでそれにとやかく言うつもりはありませんが、とにかく交易相場、そしてそこで起こるフラグ(出来事)をコントロールできてしまえば、誰でもその交易相場、あるいはその市場をコントロールしてしまうことが、可能になるわけです。まぁ、こういうと大抵の人は空恐ろしい印象を受けるのだとは思いますが、じゃぁ、そこで支配者層とは関係のない割と普通の人々が何をやったらいいか、ということになると、何かというとその相場のフラグを知って、それら交易相場の変動を読み、そしてそれに付いていく、ということなのです。グローバリスト云々で言ったのは市場を自分たちでコントロールしてしまうことによる市場全体への悪影響の度合いの話で、決して相場のフラグを知りその交易相場全体を「意識的に」コントロールしてしまうことは悪いこと、ではないのです。意識的にコントロールする、という話はスポーツをやっている人であれば普通に分かる話なのですが常に自分の体や場、その全体をコントロールすることによって一番いい動きを引き出し、最適な結果を得る、という「意識的な」動作はスポーツには不可欠なもので、まぁ、要はそれと同じで交易相場を把握してそれらを意識的に、意識の上でコントロールすることは至って普通のこと、なのです。つまり、要約しますとそれら交易相場の把握にはそこにおけるその出来事、フラグを把握することであって、それができれば交易相場なんて赤子の手を捻るぐらい簡単に把握できるものである、ということがお分かりになられると思います。つまり、フラグを知れば交易相場は簡単に把握できる、ということなのですが、例えばそのフラグとは食糧不足や不作、疫病、好景気、不景気、戦争、あるいはトレンド、流行の底だったりするのですが、とにかくその交易相場における出来事を知ることができれば、その市場を把握し自分の意識の上でコントロールすることができるようになる、というわけなのです。まぁ、それを支配者層で、自分たちだけで意図的に、しかもそれを世界規模でやってしまうのが、近代におけるグローバリスト、といったところで、まぁ、端的にいえば要はそれを行う規模の違い、だけがあるのであって、倫理面でみれば単に、概念の取り違え、あるいはちょっと考え方を間違った、というところであるのです。まぁ、この話はこのあたりにしておきますが、要は交易相場はフラグを把握すえば変動が読める、ということなのです。ちなみに、なんでそこに行きついたのか、という理由について簡単に説明致しますと、そもそも交易相場、あるいは相場というものが原初はどういうものだったのか、ということを想像致しますと、ですねぇ話は太古の昔、原始時代に戻るわけなのですがそもそも通貨などが無かった時代に、どのように物品が取引されていたのか、ということを考えますとやはり大きな石や貝殻などが貨幣として物品の交換の仲立ち、あるいは物々交換の間の埋め合わせ、として機能していたわけなのであって、要は、そうして物と物同士を交換していた時代では等価交換である必要があるわけなのですから、ということはそれそのもののレートは中世近世における物品の単価なのであって、交易相場の相場、というものは実は通貨など特に金属の貨幣が登場してから大幅に変動するようになったもの、なのです。これは、その貨幣の総取引量そのものが物品の取引相場を変動させているから、というようなインフレーションで説明できないこともないのですが、まぁそれは本稿の主旨が変わってしまうので置いておくとして、端的にいえば実際には金属のものなど貨幣がその交換の仲立ちをするようになってから貨幣に対する物品の単価の変動をするようになったので(まぁ、これでも結局上記の説明のものと一緒になってしまいますが)早い話金属などの貨幣が登場するようなってから物品の単価、つまり相場は上下するようになったのです。また、これには少なからずとも帆船など交易のツールで少し離れた街同士でも交易路で結ぶことのできるようになったことも関係しているわけなのですが、とにかく物品のその交易市場における過不足、あるいはその交易相場における貨幣そのもの総量での物品に対する貨幣の価値など、そういった意味での貨幣的要因によって交易相場が変動するようになったのであって、それまでの、特に金属のものなど正式な貨幣が存在しなかった太古の昔などでは、あまり交易相場というものは存在しなかった(まぁ、困ったときはお互い様で何とか助け合いましょう、というのもあったのかと思いますが)、少なくとも大きな変動、あるいはそれも意図的な相場の大きな変化はあまり起こり得なかったのではないか、ということは推測できます。まぁ、正式には通貨や貨幣が存在しない以上、例えそこでの支配者層の人間でもその交易相場そのものを意図的に操作するまでのプレゼンスは得られなかったのではないか、ということが推測できるのが主な理由なわけなのですが、ともかく貨幣そのものがあまり存在しなかった時代には交易相場、というものは存在しなかったのではないか、というように思います。つまりここでの論では金属のものなど貨幣が登場するようになってから、それに対する価値の変動で(そもそも基準となる「通貨」がなければ100%を基準とした交易相場の判定そのものが、あり得なくなってしまいますからね)交易相場が正式に登場するようになったのであって、それまでの金属のものでない貨幣しかなかった時代では、交易相場というものは例えばあるとして100%基準の五分〜二割程度、つまり±5〜20%程度の状態で始まった、といえるのではないかと思います。つまり、原初の状態では交易相場は±5〜20%程度の生物学的根源的な普遍的物質価値の差(要は地球上における人間などの生物が比較的採取可能な資源の総量のこと)があるだけで、それは生物学的なものですから多少のそれらの差異はあるとして、根源的には100%、つまりゼロの状態から始まった、といっても過言ではありません。まぁ、それは一度始まって現代に至るまでしてしまえばどうでもいいことなのかもしれませんが、逆に全てがほぼゼロの状態から始まったのではないか、といえるということは、それらがほぼ全て何らかのフラグ、つまり出来事によって変動してきたのではないか、ということは普通に平気でいえるわけです。まぁ、細かい説明は、ここまでにしておきますが、交易相場とはフラグによって変動する、ということともうひとつは、それら交易相場が原初はほぼゼロ、つまり基準価の100%から始まったのではないか、ということを覚えておいてほしいと思います。それでは、失礼します。またー。
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posted by skywalker at 13:44| 愛知 ☁| Comment(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月12日

頭の中を検索する方法

まぁ、どこかで見たような、というかこちらでは既視感満載、なのですが(笑)頭の中を検索する方法、です。まぁ、というからには、これについて詳しくは脳機能学者の苫米地英人氏の著書、「超ネット社会で成功する脳と心のつくり方」を読んでいただければいいとは思うのですが、さっそく今稿の本題です。つまり、頭の中を検索する方法、なのですがこれは非常に簡単、です。頭、とは
すなわち脳と同意なのですが、疑問に思った事柄やぱっと思いついた概念を検索子化、つまり検索用語化して頭の中を検索してやるだけで、OKなのです。検索の方法は、単純にネットで検索するのを思い浮かべるのと同じ要領で結構なのですが、その方法を使うことで、頭の中を検索してやることが、できます。まぁ、そのためにはその前提として頭の中の知識・情報体系がある程度のところまで完成されている必要があるのですが、まぁこれを読んでいる諸氏は恐らくそれができているだろう、として脳機能科学、というのが一つのヒントになっているわけなのですが単純に頭の中を検索できればそれによって頭の中の情報が整理されて望ましい情報が出てくるだろう、というほとんど思いつきレベルの事象、なのです。ただ、この方法で、ある程度のところまで頭脳が完成されている人であれば検索する、できるようになるだけで頭の中が随分と整理されるようになるはずなので、もし調べ事や書き物で頭の中がごっちゃごっちゃになってこんがらがっている人は、是非お試しください。きっと頭の中が整理されることでしょうよ。検索子・検索用語のルールについてはそれぞれあるとは思いますが、基本的にWEBと一緒です。それで問題ありません。それができるだけで、随分と頭の中が整理されるようになると思います。
posted by skywalker at 18:03| 愛知 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月25日

Pike and shotsというゲームについて(ご紹介)

中世・近世ヨーロッパの陸戦についていろいろ書いてきましたが、最近、中敷きの画像にもある通り「Pike and shots」というゲームを仕入れました。ゲームクライアントのSteamというものを入れないと(というか、steamで買える。開発元でも売っているがダウンロードではsteamが便利)こちらの経路では買えないのですが、特に入れるだけで料金を取られる、ということもないので、支払い方法も充実していますしもし「Pike and shots」を買われる方はこちらを入れることをおすすめします。ちなみに、その肝心のゲームの中身、ですが15世紀から17世紀にかけてのヨーロッパでの主力陸戦戦術であるパイク(あるいはハルバート)とマスケット銃(火縄銃の原型)を組み合わせたものを題材にしており、いわゆるちょっと昔の三国志のゲームや将棋を彷彿とさせるターン制の戦術ゲームです。陣取りというよりは、もちろんその要素もあるのですがどちらかといえばこちらが如何に損害を受けずに敵を殲滅、あるいは撤退させるか、という極めてクレバー、そしてリアルな戦術ゲームで、実際の心理に近いのかちょっと立て続けに攻撃を受けたり挟撃を受けたりしただけでも、兵士が1000人中800〜900人残っていようが平気で士気が減って、そしてさらに追撃を受けると部隊が散り散りになって立て続けに劣勢になるとそのまま敗走してしまうという、ゲームです。戦争ゲームながら、兵士の生存に関してAIが高いレベルなのはNPC側も一緒で、プレイヤー側と同じく立て続けに攻撃を受けて劣勢になるとすぐ士気が減った表示(Disrupted)になってその後も上手く追い込むと(Fragment)散り散りにすることができます。何が言いたいのか、といえば残り兵士数に関わらず(一部隊は平均200人、多いもので1000人弱)士気にかなり敏感に反応してKOEIの某戦略ゲームでは見られない敵部隊がすぐに後退、あるいは敗走する実際の兵士の命がけの戦場のリアルさが緻密に再現されている点がある、ということで相手を殲滅することが主目的の低レベルなゲームとは違い、リアルの格闘技のように如何に最小の手で相手を上手くいなし戦闘不能に陥らせるか、という非常にリアルな戦争での戦術ゲームである、ということです。逆にいえば、それだけリアクションがリアルで素直なゲームなので、下手な位置に動いてしまえばすぐにその部隊は窮地に陥りますし、反対に上手く陣取れば(Pike and shotの戦術自体はパイク・ハルバート(長槍)兵とマスケット銃兵を組み合わせたものなので、射撃と白兵どちらかが選べる、一回白兵を選べばどちらかが後退または敗走するまで白兵戦が続けられるが、射撃を食らわせた後に白兵戦に持ち込むなど射撃と白兵を上手く組み合わせると相手の士気を上手く削ぐことができる、ちなみに騎兵にもピストル(当時の一発装填式だが)が存在して射撃能力は歩兵よりも低いものの射撃を遠巻きに当てつつ部隊で上手く挟み込んだらそのうち突撃をしかける、なんてこともできる。まぁ、要は射撃と白兵を組み合わせながら相手を撃退することが主目的になる、ちなみに弩兵や槍兵、軽騎兵なんてものもあって当時の兵科に対応した他、実際と同じく部隊の挙動が重いので、それを利用した筋道だった戦略的戦術なんてのも検証できるのもいいところ)相手を挟撃してあっという間に敗走させることだってできてしまう、わけです。ちなみに、ターン制ながら各部隊を動かして射撃や白兵などの指示を出す自ターンの他、指示を出さなかった分の射撃や白兵を精算するフェーズ、も存在するので適切な位置に陣取っていれば、戦術ゲームでよくある動かし忘れ損、ということもほとんどない。まぁ、スムーズなゲーム運びには常にそれぞれ最適な位置に部隊を陣取らせる必要があるのだが、そこまで部隊の数が多いわけでもないし、ターン制なのでそう焦ってやる必要もないし逆にちゃんと慎重に考えながら次の手を打てるのもいいところ、ではある。上の(下記の)ような理由により、ターン制なのに思考の切れ目なく、プレイできるというのが最大の特徴で、この手のゲームでは基礎設計から言ってこれ以上ないほど完璧な出来であるということは保障しておくことができます。値段も4000円前後と内容にしてはそう高くはありませんし、まだプレイしていませんがキャンペーンモードもあるらしいので(購入される際は必ず、「Pike and shots:the campaign」というのをお選びください。もちろん、素のままの無印でもいいとは思うのですが、値段の差からして最初からcampaign付きのを買った方がお得だと思われます)。徹底的に基礎にこだわったゲーム作りと、そしてリアルの要素の細部の再現にまで手を抜かない価格の割の出来のよさと、まだ初見なのですが戦術ゲームとしてはこれ以上完璧な出来なものは他にはないことはまず保証しておきます。その上でもっと全体的な戦略を楽しみたい人はEuropa UniversalisWに進めばいいと思いますし、もうちょっとスムーズな動きのRTSを求めたい人は前出のKOEIの某シリーズのゲームでもやるとよいです。ただ、リアルさ、及びゲームとしての正直さ、からおすすめするとやはり海外の独立系のデベロッパーの作品のほうがおすすめで、まぁ、今回紹介のゲームを扱っているところは他にも同じようなエンジンを使って色々な分野のストラテジーゲームを出しているところでもあるので、実力的にも、十分です。なので戦術の検証用としてもゲームとしては十分な出来で、まさに知る人ぞ知る、ゲームだとは言ったところなのですが、最後になりますがたまにオンラインで対戦したり一緒にプレイする人を募集しています(笑)この稿、そしてwikiの主旨とは少々外れるのですが、戦術の研究にはどうしても「優れた仮想敵・対戦相手」を必要とするのでもしご興味ある方は、是非よろしくお願い致します。steamのIDなんかはまた個別に対応致しますので、ここでいいので、まずはご興味のある方の書き込み、お待ちしております。(私的研究wikiより転載)


posted by skywalker at 18:06| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

戦線の突破とゲーム的展開の関係性-サッカーゲームの場合

はい、サッカーゲームは概ね戦線突破ゲームになります。そして、戦線突破ゲームとしての観点であればゲームの分析にも
使えますし、実際戦線突破ゲームとして解釈してプレイすると、非常に分かりやすいというかやりやすい、です。戦線突破ゲームに、ついてはこちら〜↓

ゲームの展開の起源を戦線の突破にあるとするぶっこ抜き理論、なのですが今までただのゲーム理論的視点で見ても分かりにくかったものが戦線突破ゲームだとしてみると、かな分かりやすかったですし、一目瞭然でした〜。まぁ、割と新しいサッカーゲームをお持ちの方は、そちらをプレイされると非常に分かりやすいと思うのですが、サッカー(ゲーム)であれ相手の前線、というか第一戦線(正確にはライン)を突破すれば、非常に優位にゲームを展開できることが分かります。反対に、中盤以後で相手にボールを渡した場合は素早くラインを下げて戦線を突破されないようにすると、崩されずに押し込まれていても非常に優位のままゲームを展開することができ、中盤以後でもやがてボールを取ることができます。重要なのは、押し込まれようと、多少前に出過ぎていようと戦線(ライン)を突破されないようにすることで、そうすることで、全体の戦況が安定します。戦況が安定、するということはゲーム理論的には一旦落ち着いた状態からまた意図的にそうすれば優位にゲームを展開でき得ることを示唆しているので、そういう意味ではこちらが抜こうと相手に抜かれようと慌てずにラインを上下させて戦線を落ち着かせる、ことが大事になってきます。相手の戦線を突破した上で、さらにちょっと押し込んでクロスでも上げれば一点、入るのですが重要なのはどちらかというと戦線を突破して常に自軍を優位な状態に置いておく、安定させることで、スポーツでも戦いでもなんでもそうですが得点は結局ただの得点でしか、ありません。それにかまけて後で失点して大機を失ってはいけませんから、戦いやスポーツにおいては、常に優位を維持すること、これがひとつの勝つコツだともいえそうですね〜。例え不利であって結果的に負けそうでも、落ち着いて戦線を突破されないようにして、そして徐々に戦線を押し上げていけば、必ず巻き返す勝機は来ます。焦らず、かといって油断し過ぎずにやるのがゲームというか戦いやスポーツというものですが、落ち着いて戦線=戦況をコントロールしていけば、結果的にはいいゲームができる、ことは請け合いでしょう〜。また例え勝てなくとも、上手くゲーム運びができるので次のゲームにもつながりますし、戦いやその他ゲームにおいても大負けすることはないはず、です。大負けしない、というのも特に戦いなどにおけるゲームのひとつのプレイのコツ、のようなものですから、そういう意味では戦線の突破こそが、ゲームにおける唯一といっていいほどのゲーム展開のコツのようなものだ、ということはいえそうですね〜。
posted by skywalker at 10:04| 愛知 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月30日

映画「Master and Commander」ネタとその他諸々

映画「Master and Commander」について新たに分かったことですが、このネタはPatrick O'Brianの原作をお読みになっている方ならその時点でもうご存知の方も多いのかとは思いますが、キャプテン・゛ラッキー”ジャック・オーブリー率いるHMSサプライズ号が、カリブ海でナポレオンのフランス海軍の44門フリゲート艦と遭遇して……、というところなのですが実は、もうちょっと前に動画が出ていまして、「Discovery HD Master and Commander-the true story」というyoutube上の動画でだいたいネタ元が解説されています。もうご存知の方にはもういいかと思いますが、一応英語の動画なので、一部内容を総括しますと、映画「Master and……」のHMSサプライズ号は、一方では史実上でフランス軍からイギリス海軍側に拿捕されたフリゲート艦(6th-rate:六等戦列艦というものなのですが)が元になっていると英語版wikipediaに載っていますし、一方では、というか今回の動画では1812年、8月19日のイギリスとの戦争中のアメリカ合衆国の゛Old Ironsides”ことUSSConstitutionがイギリス海軍のHMS(HMSは゛名誉ある女王陛下の船”の略)Guerriereを撃破した戦いが元ネタになっている、そうです〜。ちょうど映画「Master and……」の重要、というかキーポイントシーンでもフランス海軍の44門フリゲートの標的である捕鯨船に偽装して、ガラパゴス諸島で待ち伏せをして44門艦が拿捕しようと近づいてきたところを至近距離から中央マスト目がけて一斉砲撃を浴びせてマストをへし折る、というのがあるのですが、その゛マストをへし折る”ネタというのも紹介の動画によるとアメリカ合衆国のUSSConstitutionがイギリスのHMSGuerriereを破った戦いでマストを砲撃でへし折ったところからきている、ということらしい、ということですので、まぁ、どんな小説でも物語でも必ず元ネタはあるとはよくいいますがMaster and Commanderの場合は原作と同一の時代のアメリカ合衆国とイギリスの戦争での海戦から元ネタを引っ張ってきている、ということのようでした〜。まぁ、創作物なんて著者の匙加減如何な部分もありますからまさかと思うようなところから元ネタが来ていたり、ここでか、というのも色々な作品を読んでいるとよくあるのですが、Patrick O'Brianの場合はおそらく史実の再現度はその類の中でも非常に高い(と評されることが多い)のでそういう意味では、小説といえど上手い引用の仕方や元ネタの引っ張って来方というのはひとつの、というか重要なスキルのうちのひとつではないかと思いますけどね〜。Patrick O'Brianといえばもう゛偉大な”小説家の一部だといっても差し支えないような実力、と名声を集めている小説家だとは思うのですが、こうした小説や゛開かれた”メディアのいいところは例え小説家を目指している人でなくとも、ほんの片手間で手に取って観てみるだけで、幅広い知識や時には深い見識-人生の様々な、というか色々な゛意外な”場面で威力を発揮する-が偶然得られたりするものだというところで、そういう意味では紙にしろ電子的なものにしろ、活字、あるいはきちんと整備されたメディアの偉大さ、というのか純粋な、゛公共共有媒体”としてのメディアの偉大さ(注:どこかのゴミと混同される不正メディア、とは違いますよ〜)をひしひしと感じられずには居られませんね〜。以上、長くなりそうなので、ここらで切ることとします〜。お読みいただきありがとうございました〜。なおこの稿では不親切にも(?)動画のURLは載っけていませんので、ご自分で語句をコピペするなどして検索なさってみてくださいね〜。それでは、失礼します〜。またー。
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PS3に使っていた媒体でPCながら動画鑑賞〜

今気付いたんですが、PSN(プレイステーションネットワーク)のほうでもYoutubeダウンロードできますね〜。今までPCのほうでしかyoutubeが見れないと思って、しかたなくPS3でできる適当なゲームで動画観ている間の時間潰しをしていたのですが、そろそろそれもネタ切れになっていたところ、もしやと思いPSNでちょっと探したらすぐにyoutube見つかったので、さっそく入れて今動画観てます〜。ブログの編集やPCでのゲームと同時に出来るところがメリットで、今まで重さや加熱度を気にしながらやっていたのですが、これで上手いこと作業が分散できたので、いいことづくめです。ちなみに、ゲーム用の画面はこちらは23インチのものを使用しているのですが、youtubeで古い動画を観ると、若干広くなりすぎるせいか画質の粗さが目立つのですが、それでも作業を分散できることを考えるとくだらないゲームをやっているよりよっぽどまともで、有効な時間の使い方を出来るので皆さんもゲームに飽きてPS4に更新しようかなんて検討している方がいましたら是非PCでブログの編集や調べ物しながらPS3など使っていた媒体でyoutubeなどを見て作業をすると一層効率が上がること間違いなし、ですよ〜。ちなみにPSNではAmazonvideoやNetflixなんてのもあるので、海外ドラマや映画などを観たい方はこちらもおすすめです〜。ちなみにNetflixは月額課金ですが、AmazonのはKindleなど支払い同一端末などを持っていて支払いが楽な状態であれば(PSNはハック騒動があったので)Kindleなどで落としたものをPSNからでも観られるので、支払いなんかでも困ることはありません〜。ただ、Amazonvideoの海外ものは基本的に字幕の有無や音声が選べないのでそういう意味では英語の学習に、と考えている人にはちょっと不向きかもしれません〜。他の大手動画配信サービスがどうなっているのかは知りませんが、海外のものを字幕無しで観られないようではなかなか英語の学習にも使えませんので、是非「日本人が英語の著作物を観る主な目的や用途」を考慮して、動画配信サービスさんにはもう一工夫、二工夫していただきたいものですね〜。PS3など以前はゲームを主な目的として使っていた媒体でも、こうしてPSNなどでアプリの配信などもしっかり為されるようになってくるとPCの動画観る作業分散できたり観ながら片手間でブログなど書けたりといろいろ使い道が広がってきますよね〜。今も映画「Master and Commander」関連の動画観ながら書いていますが同じPCだといちいちタブ切り替えたり重さ気にしながらやらないといけなかったのが余裕を持って優雅にブログ書けるようになってので気分だけでも、作業的にもいい気分です〜。映画「Master and Commander」のネタもこれ続けて後で投稿しようと思うのですが、皆さんもこんな風に作業するとくだらないゲームのようなものをしているよりもよっぽどいろんな作業がはかどると思いますよー。では、ここはこれにて失礼します〜。また〜。
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2016年07月25日

圧倒的勝利には意味がない−シミュレーションの勝敗と勝負の差分

シミュレーションやゲームにおいて、ほとんどの場合圧倒的な勝利には意味がありません。というか圧倒的勝利ができる状態であること自体そもそも戦闘でのなりゆきを予測したシミュレーションとしても間違っていますしゲームとしても戦力が公平でない時点でほとんど意味がないというか間違っているといえます。これはゲームに限ったことではなありませんが、そもそも圧倒的勝利ができるという時点で「相手と競り合っていない」という意味でもあり、むしろこれがビジネスなどの普通の場所で出てくるということは何らかの予測外の事象がその後に起こる予測しなければならないくらい実は危険で不安定な状態です。ゲーム的にいえばそもそも圧倒的な勝利ができる状態自体バランスが不均整で不安定だともいえ、その後の展開次第では簡単に状況がひっくり返されてしまい最終的には大局を逃すことにすらつながりかねない、そういった極端にバランスを失った状態、でもあるのです。もっとも、多少圧倒的勝利を収めたからといって一分も油断しないというのが本来の意味での戦士であり騎士でありはたまたゲーマーなのですが、これは歴史上の戦いなんかにおいても同じです。多少圧倒的な勝利を収めたからといってほとんど喜んではならず、むしろ戦力がある程度拮抗しているのにそこまでの結果になるということは相手がわざと相手を勝たせた「偽計」である場合も多いのです。この状況では何か重要なものを成功の影で逃す可能性が非常に高いですから、本来戦士であれば油断してはならない状況、なのです。逆にいえば歴史上ではよっぽど相手がヘマをしない限り圧倒的勝利というものはそうそうあるものでもなく、例えそう見えても細かいところでミスをしていてそれが将来的に大局を逃す一因にもなり得る、というのがリアルなゲームというものです。なので、ゲームでは一分も油断してはいけないですし、逆に戦士などプレイヤーとしては緊張を緩めつつ、割と落ち着いた状態で油断しない状態をキープするのが優秀な戦士あるいはプレイヤーになるひとつの条件といってもいいほどです。三国志や古代よりの戦記物にある通り油断、心の緩みこそが味方の敗北を招くのであり、現代でいうならゲームのプレイヤーはゲームをやっている間は一分も油断してはならないのです。これ幸いというべきか最近のゲームはシビアなものが多いですから、オンラインゲームなんかでは一分でも油断すると負けることがほとんどです。逆にいえば良い戦士というかプレイヤーは戦いのさなか一瞬だけ精神を落ち着かせる、状態をリラックス術を身に着けているといえるもので、自らの心をコントロールすること、これがゲームで勝つ必須条件であり、またいい戦士、良いプレイヤーの必須条件でもあるともいえるのです。
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エントロピーの落とし穴―物見遊山は無意味

一般的に物見遊山とはいわゆるちょっと高飛車な野次馬のことをいうのですが、今日はその物見遊山について、はたまた統計学やメタデータについて書いていきます。ビッグデータというとメタな感じがしていいですが、実はそれらは大きければいいかといえばそうではなく、ある一定以上のサンプルを集めてしまうと、その資料自体で乱雑となってしまい「観測者の望んだ結果を得られなくなる、また予想とは全くかけ離れた結果になってしまう」という現象が起こるのです。観測者の望んだ結果にならない、というのは画一的なものさしで物事は測ることができない、という定理からすれば一見ごく自然でふつうのことのように思えますが、それが調査費用をかけてメタデータを集めようとした際にそんなことが起こってしまうと、実は大問題なのです。そもそも、ビッグデータなどのメタ情報はある一定の定理に基づいて、観測者の望んだ結果、ある程度予測した定理が導き出せるように採取するものなのです。そもそもなんの予想もなしに統計的データを採ることはあり得ませんから、一般的に統計学的に信用の得られる数字といわれる2000〜2200ほどのサンプルを超える数のデータを採った場合には、当然予想よりも「メタな」データになりますからそもそもサンプルが1万にも10万にもなるデータは採ったサンプルのデータそのものが乱雑になってしまい(エントロピーの影響)そもそもある程度予測した、予想した結果を計測することが「本来の」目的である統計的調査では最低限統計の採れる数字を超えた調査ではむしろ計測結果が乱雑になってしまいある程度予測した結果が得られないばかりか世の中がどのくらい乱雑か、というようなことしか計れないことになるのです。これは単純に「欲しい数のサンプルよりも対象が膨大になってしまえばそもそもその採取したデータそのものが乱雑になってしまい正確な計測結果は得られないから」、でありこれをひっくり返していえばそもそも「科学には予測以外の結果は必要ない」ということもいえると思います。まぁ、これには賛否あるでしょうがそもそも科学というものの目的は「予測した結果を得ること」であって予想外の未知の結果は「予測しないことを意図的に起こす」か「未知の結果が得られる状況を意図的に設定してそれを計測する」というような方法しか基本的にはないのです。そもそも、予測しない結果が普通に起こる状況をそのままにしてしまえば、正確な観測どころかそれらを観測・計測するのも無理になる、ので(というかそういったことはあまりにもエントロピーが跳ね返っているので実験としても非常に危険な状態)一言でまとめてしまえば「そこにいる人間に観測できないものは危険だし無理」ということにもなるのです。まぁ、これは考えてみればよくよくは当たり前のことで人間がそもそもこの地球上の生態系を牛耳っている以上(人間より高等知的生物はいませんから)人間の制御の及ばないことは起こしてしまえば非常に危険なのです。なぜかといえば分からないところで何か乱雑なことが起ころうとしているから、でありまた、実験的に起こそうと意図したことでもないのに予測外の結果を招こうとしていることにもなり、ということで計測や実験においては予測外の結果というのは無知な人間からしてしまえばとても危険なことでもあるし、予測の利いている人間からしてみても予測外の結果というのは「その予測外が予測できていない限り」非常に危険というよりはむしろ不要の産物でもあるのです。そもそも科学の実験や統計学的な実証というのは「予測した現象が起こるか観測すること」を指しているので予測しない現象は要らないしあまりにも予測外の結果が普通に観測されるというのはどちらかといえば非常に危険なことなのです。こういうと科学においては事前に予測すること、精度の高い予想をすることが非常に重要になってくると思うのですが、これは先に出た物見遊山においても一緒です。物見遊山とはそもそも暇つぶしがてら高見の見物、ではなく世間を野次馬しにいくことを指しているのですが、自分の予測外の結果が要らないのならそもそも野次馬しにいく意味がありません。予測外の結果がほしいということであってもそもそもそれを観測する準備が要るというわけですからそれは物見遊山というよりは研修か下見といったほうがいいでしょう。物見遊山というものはそもそも野次馬なわけですから、それそこで得られたものをそのままデータ化するのならまだしもそもそも物見遊山自体その目的外のものは乱雑になってしまうわけですから、野次馬目的以外のものはほとんど意味がないのです。ついでに、あえていえばそうまでして人間がたまに物見遊山のようなものに出かけたくなるのはそもそも「その物見遊山自体が結果に関わらず気分転換になるから」であり、観測結果などの自分以外の要因は全く関係なくなるのです。というわけで物見遊山が無意味なことを分かってもらえたと思いますし、併せてサンプルを超えた統計学やメタデータ計測も必要ない、ということがお分かりいただけたか、と思います。ついでいえば国勢調査などの一見ビッグデータと呼ばれるものでもそれらはそもそも「計測者の予測した、ある意味望ましい結果を導き出すもの」であり「それらに計測した数字”というまやかしの根拠を与えるためのもの」でもあるので意味がないどころかそもそも信用してはいけない、のです。逆に信用のおけるデータを採取しようと思えば統計学的に必要な「最低限の」サンプルからデータを集めればいいだけということになり、こういった面からも国勢調査などのメタデータの大規模な統計が意味がないことが窺えると思います。というかそもそもメタデータというのはそれらエントロピーで出る「乱雑な要素」をコンピュータのシミュレートである程度排除しながら計測するものであり、そういう意味でも観測者の「思いのまま」の予測結果を出すことがデータ採取の目的だ、ということはお分かりいただけたか、と思います。野次馬というものは意味がなく、反対に世間を眺めるため、なら物見遊山も意味があるとはいえるのではないか、とも思います。
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2016年06月28日

ここでなんですが……、ネタ募集中〜

ここでなんですが、ネタ募集中です。募集といっても、ブログ(ここ及び文明と歴史〜またあるいはアトリエ、そのほか中世歴史wikiや交易品、錬金術wikiも含めて)などなどのネタの募集なのですが、要はネタ切れなわけです。まんざらネタ切れというわけではありませんが、時期のためかここ数日アイディアが切れかかっているのでここぞというわけでみなさんから上記諸々のアイディアを募集したく思ったわけです。ネタ募集なので細かいことは何でも構いません。私事でも構いませんし(いや、それは……)ぱっと思ったこと、あるいは最近こんなことが気になっている、あるいは前からこれが知りたかった、など知ってる、知ってないはお構いなしにどうぞ気兼ねなくコメント欄にお書き連ねください。なお、報奨はでません。ご褒美はといえば、あなたの書いたネタでブログ記事ができるかもしれない、ということです(パチパチパチパチ~)さて、こんなんですがどうぞよろしくお願いいたします。報酬は本気で出ませんが、あなたの出したネタでまた誰かから新しいネタが出てくるという世に希少な現象を見るチャンスですよ〜。ちなみに、他の方が書いたネタをこの稿のコメントに限り流用するのは例外的にOKとします。もし流用されたくないという方はその旨一言お書きいただいて(あまり意味はないかもしれませんが)どなたでもいいので誰でもネタ書き込みよろしくお願いしま〜す。(コメント欄にはエントリ下部のcommentから行けます。最近某所で分からないと言われたのでよ〜く探して見つけてやってください)
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2016年04月11日

ネットでは、なぜこうも「まともでない」意見が多いのか

まぁ、簡単にいってしまえばネットが整備されるようになって今まで発言していなかった人が発言するようになったから、ということと、発言していなかった、ということはロクに言うことのなかった人が発言するようになったから、です。もちろん、発言することは間違っていることでは当然ないのですが、そもそも、人間が公衆に向かって発言するにあたってはまず言語的な部分と習慣的な部分で素養が必要に、なります。つまり、どう発言したらいいのか、失敗したらどうしよう、なんていう心配が付きまとうのは社会の慣習についてよく分かっていないからであり、また具体的にどういったらいいか分からない、というのは単純に読む本の不足などで言語的に語彙不足、だからです。つまり、今までの社会である程度公の場で発言していた人は素養のある人、でありまたその人が人間的にどうであれ、そもそも社会の公の場で発言する、ということはそれなりの責任が付きまとうことであった、というわけなのです。つまり、ある程度素養があって、自分が公の場で発言するようになった際も、まだあまり自由気ままに発言していい世界ではなかったわけで、むしろ言えることは限られていた、いい風に言えば、分をわきまえていた、わけです。まぁ、メディアだろうとネットだろうと発言するのにはある程度言うことや内容には責任を持たないといけないわけですが、ともかくネットで「変な発言多いなぁ」と思っている人がいましたら、まずはネットでメディアが公のものになって今まで発言していなかった人が発言するようになったからだ、ということをまず知っておいてください。そのうえで、ネットが開かれてある程度時間や場所を選ばずに比較的公共的な内容であれば誰でも自由に発言できるようになったわけで、その意味では公共的あるいは政治的意味あいであればもっと多くの人が発言できるようにしていかなければいけないのだなぁ、と思います。もちろん、誰もがある程度自由に発言できる場所を作ったりもっと自由に意見交換ややりとりをできる場所を作ったりすることはやっていかないといけないのですが、それ以上にもっと重要なことが、あります。それは、家の雑談であれ、公共の場の会話であれネットでの発言であれ、自分の発言とその内容に責任を持つ、ということでありいくらネットで自由に発言できるようになりそれを拾って政治的に利用できるようになったから、といってそれを悪用してはいけないし、逆にいえばそれぞれが各々の発言に責任を持たなければいけない、ということでもあります。もちろん、自分の発言というか書き込みに責任を持つのなら、むしろ自由に発言してもらってもいいのですが、最終的にはネットが誰のものであるか、という所有責任論よりもネットは公共のものなのだから、そこでの内容や発言には十分責任を持たないといけない、ということはまず言っておかなければならないことだ、というように思います。確かにネットは開かれたものであり自由に使えるものでもあり上手く使えば政治的にも利用できるものでもあるのですが、それにはまず、各々が発言の内容に責任を持って、公共のものである、ということを再認識して利用する、という心構えが必要だ、というように思います。その発言に関する自己責任を踏まえた上ならば、どんだけ発言してもいいしむしろその方向性なら、いくらでもネット社会の利用可能性は広がっていくことでしょう。いくらネットといえど上手く使えない、というのであれば、それは最終的に単純に使い方を知らないから、というだけの話であり、モノや道具が上手く使えない、というのと同じで、単純に使う人本人が足らないから、というだけ、の話なのです。
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2015年12月20日

相手の手を如何に読み、またそれを逆用するか―ゲーム的思考と出し手の法則

相手の隠している切り札の一手を如何に読み、それをまた返して駆け引き的に優位に立つか、ということですが、まずもって駆け引き、ゲームというものはゲーム理論的解釈をすると、メタゲーム的にもそういったものがひとつの答えのようなもの、極致といったようなものと、言えるのではないでしょうか。というのも、駆け引き、ゲームというものはそもそも(お互いにプレイヤー同士でゲーム的駆け引きのパターンや相手の持っている手札はあらかじめほぼ完璧に読めているとしての話ですが)相手の切り札は読めているというものなのです。相手の出しそうな手は読めない、あるいは相手のゲーム的駆け引きのパターンが読めないというような状況では、そもそもゲーム理論的に駆け引き的にゲームが成立しているとは言えません。通説、通例ではゲームあるいは駆け引きというものは相手の出してきそうな手、ゲーム的駆け引きのパターンは読めているのが前提で、その「お互いに読めている」共有的認知的な状況が数学的に見ても(そういったのをコミットメントといいます)成立している状況がゲームで、それがゲームと呼ばれるものの前提なのです。なので、相手の手は(少なくとも出してきそうな手については)読めているのが前提で、今回提起したいのはそれ以上の相手のとっておきの秘策、切り札を如何に読んで、またそれを逆用するか、という手法についてなのですが、ゲーム的解釈ではこの手のものにはたどり着けません。というか、まず最初にやるべきはゲーム的手段や読み手を網羅することです。それができて、初めて相手の秘策を読んでそれを逆用して返すといった「メタゲーム的戦略」を取ることができるようになるので、一流になるには習い手から、ではありませんがともかくまず基礎であるゲーム理論から学ぶ必要があるのです。ゲーム理論である出し手やパターンををある程度網羅できれば、今度は法則性が見えてきますから、(ちなみにそれが行き着くところまで行き着くと「空」の境地に至ります)ともかくゲーム理論を学んで法則性が分かれば相手の出す手や読み方が分かりますから相手の秘策を見抜いて逆用するといったメタゲーム的戦略を取ることもできるのです。武術でもゲームでもなんでもそうですが、相手の切り札が読めれば(しかもそれを相手に気付かれないよう逆用してですね、戦況を一気にひっくり返すこともできるのです)ゲームの駆け引きをなし崩し的に勝ってしまうこともできるので、ゲーム的駆け引きにおいてはとにかく相手の切り札、秘策を読んでそれを逆用して返すことが、重要になってくるのであります。それでは、ご熟読ありがとうございました。また、御機嫌よう。
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2015年12月19日

中世ヨーロッパ歴史研究会、作りませんか?

前回、このブログの稿でオンラインサークルを作りませんか?というのを書いたと思うのですが、今日はその続きの感じで、具体的に「中世ヨーロッパ歴史研究会」というのをですね、作りませんか?ということを書いてみたのです。もちろん、コミュニティサイトでそういうのを作って、つながってどうのこうの、というのをやってもいいのですが、いかんせんコミュニティサイトとなると元のつながりの範囲があまりにも限定的すぎるので、(なのでこうしてオンラインサークル作りませんか?というものの延長線上でやってます)こうやってブログで集めて立ち上げよう、というのも一考か、と思いこうして立ち上げました。中世ヨーロッパ、と限定しましたがなぜ中世かというと近世史を遡る上でつながりのある出来事はほとんどすべて中世史に足跡を残しています。しかも、近世から現代にかけて起こったことについては中世・近世・ルネサンスのヨーロッパ史で起こったことかそのまま元になっていることが多いですから、近世〜現代の歴史からなぜそれが起こったのか、という歴史の足跡を辿っていくには中世・ルネサンス期のヨーロッパは避けては通れない路、なのです。まぁ、それ以上前の歴史というといくらでも遡れますが、登竜門というか入口的には中世・ルネサンスヨーロッパ史が一番入口になるかと思いますので、ネット上で集まりを作ってつながるにはちょうどよい材料かと思います。中世ヨーロッパといえば現代の科学の元になった錬金術ももちろんそうですし、古代ギリシャの哲学を現代にも残る形で継承・昇華させる時期になったのもルネサンス期でした。また現代に受け継がれている美術なんかも中世からルネサンス期にかけての産物です。ヨーロッパのみならず、一応現代に残っているものの多くは世界中どこを見ても中世・ルネサンス期(350〜1750)ぐらいのものですから、中世・ルネサンス期をひとつの歴史の入り口としてみなしてしまうのも間違ってはいないでしょう。つまり、歴史を辿る上での入口としては、最適なのです。いや、というか普通に歴史の最低限の知識を身に着けた人にとっては、むしろ当たり前のことかもしれませんが、歴史を観ていくということはまず現代の社会状況やその背景から、ひいては、その大元になった出来事あるいは仕組みができた頃の歴史から遡るのがうまいやり方です。中世・ルネサンス期のヨーロッパは今のヨーロッパ支配の社会が出来た原点でもありますから、そこを研究することは学益はもとより実益にもかなうことなのです。というわけで、ということではありませんが、「中世ヨーロッパ歴史研究会」もし興味ある方はコメント欄に足跡を残していってくださると助かります〜。また、ついでというわけではありませんが、中世・ルネサンス期のヨーロッパ(に限らず、ですが)の交易や貿易システム、経営学、国家運営・戦略などは、はからずも現代においてその基本システムを多くの会社が継承している、ということもありますがゲームの基本としては非常に参考になる部分も多いです。というか、交易や貿易、経済に興味を持った、という人の多くは中世・ルネサンス期のヨーロッパの交易を入口としている人ではないでしょうか。とにかく、交易は「空」の行いですし人類社会が発展してきたのも要らないものをやりとりする「交易」がすべての大元かもしれません。それくらい、社会の仕組みやシステムがどうやって出来るのか、を遡っていくと大抵は交易に行き当たるぐらい、ゲーム的にもはっきりしているのです。交易はすべての社会的ゲームの大元でもありすべてのゲームが「空」のシステムを持っていることの象徴かもしれませんね。まぁ、小難しい説明はこのくらいにしておいて、交易、それから中世・ルネサンス期・近世のヨーロッパ史は現代の社会システムを形造った大元の時代かもしれません。そういった時代、足跡を研究することによって、社会的・経済的に得られることはものすごく多いです。研究する、というスタンスに限らず、同じ興味を持った人同士で交流する、というだけでも一幸になるかもしれませんね。一応、seesaawikiというのがあるのでそれを媒体に交流・やりとりをするということも考えています。ともかく、興味を持たれましたらここの下のコメント欄にご一報ください。なお、名前もしくはブログのURLなども残していっていただけるとうれしいかと思います。人間の一歩は狭い、そして大海は果てしなく広い―――。考えてみれば、世の中知ったようでいてよく知らないことだらけ、です。さあ、あなたも、まだ見知らぬものを探しにいく旅に出ませんか―――?というわけで、あなたのご一報お待ちしております。ご質問、分からないことを聞いていただいても大歓迎です。それでは、また御機嫌よう。
posted by skywalker at 16:05| Comment(1) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする